板屋材拭漆弐尺丸盆

奈良植物研究会会報第48号 1992年 矢野正善 


 職業がら食器や器物に接する機会が多い。先たっても福井県の山中温泉へ、漆を塗る工程の撮影に行った。その時に「板屋材拭漆弐尺丸盆」なるものを見た。「板屋材」は、ハウチワカエデ材を指す地方と、イタヤカエデ材を指す地方とがある。園芸品種名での[板屋]はハウチワカエデ、〔板屋名月]はコハウチワカエデのこと。「拭漆」は、布に漆をつけて拭くように何回も塗って仕上げたことで、年月が経つと共こ、よく透けて板目がすっきりと見える。「弐尺」は、直径が2尺すなわち約60cmの大きさ、これだけの板材を取ろうとするには直径1m以上の木が必要。「丸盆」は、丸いお盆だと言うことである。
 さて「板屋材」は、ハウチワカエデだかイタヤカエデだかわからないが、板目は抽象文様で大変美しく、あこがれの美人に会った気分だった。それも60cmと言う継ぎ目なしの無傷の材である。ほしいとは思ったが、わたしには到底買える価格ではなかったので、あきらめるに時間はかからなかった。次に材木置き場を撮影こ行ったとき、驚くなかれ、わたしの身長を、はるかに上回る直径の、種々の材木がごろごろ置いてあった。縦横がわからない固まりに指さして「これがイタヤや…」と教わったときは驚きだった。それなりにカエデの大木を見て来たつもりだが、そんな比ではなかった。思わず「こんな木、切り倒して、もったいないなあ一」と余計なことを言ってしまった。「無駄のないように使たらええんじゃい」とご機嫌をそこねた職人さんの声がした。「この木はハウチワやろかイタヤやろか」と恐る恐る尋ねたつもりだが、「そんなもんわかるかい」とついにどなられてしまったのである。
 わたし自身、材木肌でハウチワカエデか、イタヤカエデかの見分けは、まだつかない。ハウチワカエデは、そんなに太い大きな木があるとは思えない。イタヤカエデは、大変大きな木があると聞いていた。多分イタヤカエデであろうと想像する。と言ってもイタヤカエデには多くの種類がある。わたし自身イタヤカエデの同定が出来るようになったのも、そう古くはないのである。何時ぞや、緒方健博士にお手紙を差し上げ、先生より過分の資料を頂戴した中に、「本邦産イタヤカエデ類について」が、開眼の突破口になった。
日本には次のイタヤカエデが存在するようで、書き写して見ると

エゾイタヤ A. pictum subsp. mono (Maxim.) Ohasi
オオエゾイタヤ A. pictum subsp. mono var. mono f. magnificum (Hara) Ohashi
エンコウカエデ A. pictum subsp. dissectum (Wesmael) Ohashi
ケエンコウカエデ A. pictum subsp. dissectum f. piliferum (Ogata) Ohashi
ウラゲエンコウ A. pictum subsp. dissectum f. connivens (Nichols) Ohashi
ケウラゲエンコウ A. pictum subsp. dissectum f. puberulum (Ogata) Ohashi
タイシャクイタヤ A. pictum subsp. taishakuense (Ogata) Ohashi 
ウラジロイタヤ A. pictum subsp. glaucum (Koidz.) Ohashi 
アカイタヤ A. pictum subsp. mayrii (Schwerin) Ohashi
イトマキイタヤ A. pictum subsp. savatieri (Pax) Ohashi
オニイタヤ A. pictum subsp. pictum var. pictum f. ambiguum (Pax) Ohashi
ミヤマオニイタヤ A. pictum subsp. Pictum var. pictum f. pulvigerum (Ogata) Ohashi
   
とある。そうするとイタヤカエデはどうなるかと疑問視するが、一つにはエンコウカエデは幼少葉で、その成木がイタヤカエデであるとも言えるし、幼少葉が成木になっても、そのまま葉形が変わらない木もある。どうもこの部類をエンコヴカエデとし、イタヤカエデ名は総称名として扱っているようである。イタヤカエテにはそれぞれに中間種が縦横無尽に行列して存在するので、わたしごときには同定できないものには、皆イタヤカエデと言って逃げてしまいそうである。
 奈良県内で見かけたイタヤカエデは、エンコウカエデ、ウラゲエンコウ、イトマキイタヤ、オニイタヤそして最近気づいたものにミヤマオニイタヤが自生(吉野郡川上村神の谷明神滝付近)していたことである。もちろんこの4種の中間種と言ってよいのか、雑種と言うべきなのかわからないが多く見られる。イタヤカエデの検索は、大半が毛によるもので、以前にも書いたように初夏を過ぎると、毛は脱落することが多いので同定間違いが生じやすい。とは言ってもエゾイタヤ、アカイタヤ、ウラジロイタヤ、タイシャクイタヤが奈良県内に自生するとは考えられない。もしあるとすれケエンコウカエデ、ケウラゲエンコウであろう。この2種とミヤマオニイタヤは、1年枝に毛が生えているもので、しっかり生えているものは秋まで存在するが、割合柔らかく生えているものが多いので、初夏を過ぎるとエンコヴカエデ、ウラゲエンコウ、オニイタヤと同定してしまうのでご注意を。話がずれるが以前大井氏に無理を言って9月下旬帝釈峡に連れてもらって、タイシャクイタヤを探したが表面に毛があるものがほとんど無く、わずかではあるが標本は何とか採取できた。多分6月頃にもう一度見に行けば、全部タイシヤクイクヤであるかもしれない。オニイタヤは裏全面短毛があるが、大変見にくいものである。ルーぺでしっかり見ないと見落としてしまう。以前、瀬戸剛先生からは葉裏を表てにし二つに折り曲げ、その折り目をルーべで見れぱよくわかると教わった。また竹村咏子氏からは、葉裏に唇をそっとあてるとよくわかると教わらた。葉の両面をかわるがわる唇をあてて比較すると、ざらつきが簡単に感じ取れ、目の悪いわたしには急いで判別するときにはもって来いである。     
 ところであのごっつい「板屋材」はなんだろうか、きっと大きな葉の木であろう。そうエゾイタヤ、アカイタヤ、オニイタヤのどれかに違いないと想像する。普段、葉のみ検索する事が多いので、ついいい加減な判断をし誤ってしまう。それにしても「板屋材拭漆弐尺丸盆」に気に入った料理を一杯のせて、うまい酒で一献やれたらいいだろろなぁ一、と想像するが、わたしは下戸であることを忘れていた。


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