楓の杜    中山桂子様

   
 国のはじめは大和 
    郡の始まりは宇陀郡
       宇陀のはじまりは菟田野から
                     (古誦より)

 神話の里、菟田野へと出かけたのは梅雨入り
間近い六月の初旬。道すがら、車窓に飛びこむ
文字は、まるで、古事記のページを繰っている様。
宇賀志川に八咫烏神社と神武天皇の足跡が
神社や川の名前として、人々の暮らしに溶け込ん
でいます。トラックの行き交う国道から、わずかに
道ひとつそれただけで、神代の世界に出逢える
とは思いもよらないことでした。

 狭くなる道をたどった先は築八十年の古民家。
そして、その住まいに似合わぬ、どこかと都会的
な匂いのする老紳士が笑顔で迎えてくださいまし
た。後の歓談の中で、日本屈指の審美眼を持っ
ていた、あの吉兆の湯木氏に一目おかれる料理
写真家であったと知り、やはりと納得。そんな彼が
盛られた料理に添えられた楓の一枝に魅せられ、
年月を重ねてきた末、数千もの鉢植とともに、菟田
野へと移り住んだのは、ほんの一年前のこと。広
い敷地の中にのびのびと茂る楓の色は見慣れた
緑だけではなく、茶色、薄紅、そして、私達が識別
できない古代色までも含んでいると、教えてくださ
いました。平安時代、なつの襲の色目、楓の重ね
は、目の前に並ぶ、どの色の組み合わせだったの
でしょう。当時の日本人の鋭い色への感性が雅な
文化をみごとに華ひらかせたのです。それにして
も、楓の色や形がこんなにも多様だったなんて。

 鉢に植えられたこの楓達が大地に返され、こん
もりとした森を創るのに何十年もの月日を要する
ことでしょう。でも、もしも、菟田野という神々が愛
した土地の持つ不思議なエネルギーが働き、一
夜のうちに樹々が成長し、森が杜となってあらわ
れたら、私達も楓の瑠璃光をた体中で感じること
ができるのでしょうに。

 百年たてば、この杜に物語が生まれ、老紳士は
楓守として、里人の心に長く長く伝えられ、新たな
神話の一ページを飾るのかもしれません。
    



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